けでしゅと・れんの戯れ言

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【無料公開】医師の説明義務【無意味に卒論を公開】

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どうも、QEDDESHET(@REN_QDST)のRENです。

今回も完全に思いつきというか、データ整理してたら出てきたんで、公開します。
卒論は紙面でファイル化されてゼミ生のみに配布されてるんですけど、ネットにも出回ってないし、どうせ紙面化されたところで同期も後輩も誰も読んでいない、完全なる化石文書と化していました。このテキストデータを僕が消せば、おそらく未来永劫誰からも読まれない論文となるのは間違いなし。

ただ、この卒論、書き上げるまでおよそ3ヶ月以上かかってるんですよね。
僕の大学には卒論はなかったのですが、ゼミのほうで卒論が必須だったので、みんな泣きながら作っていた思い出。それを無に帰すのももったいないなって思って、ここで公開。

主に添削はゼミの先輩にあたる大学院生が行い、院生からOKが出たものを教授が読み、そこで終了。
なんだかんだゼミ生の中では後ろから2番目に完成が遅かった(期限ギリギリ)。
絶対服従が慣習だったゼミのOB(院卒の先輩)を相手に喧嘩しまくっていたせいです。笑
喧嘩っていっても内容に関しての喧嘩ね。そこから発展してお互いの人間性を批判しまくってましたけど。
いや、そりゃね?30過ぎて働きもせず、大学院を卒業したってだけのニート(当時はなぜかそこからロースクール入るための勉強をしていた。ただのモラトリアム続けたいだけやんけ)に偉そうなこと言われたら、イラっときますやん?揉めますやん?添削どころじゃなくなりますやん?笑

まあ、そのへんはいいや。
文章に関しては、全くいじっておらず、原文ママです。語尾が微妙だなーとか稚拙だなーと今は思いますが、そういうのも含めて過去の自分の脳味噌がぶちまけてあるので、そこも含めて楽しんで頂ければと思います。過去にはこんな勉強を行っておりました。
やー、よくこんなことのために3ヶ月以上も図書館こもってたよね。信じられない。その時間くれ。

内容に関してですが、内容は民事法における「医師の説明義務」。法律に関するもの。
みなさんも病院に行かれると思うんですけど、まあ医師の説明義務と患者の知る権利とか、まあよく聞く話ですね。それの法律サイドのお話。
この論文は、医師の説明不足が原因で生じた事故や裁判をまとめ、そこに付随する学説や裁判所の見解とかが書かれてます。最後に、私見として最後に自分の考えを述べているらしい。

医師の説明に関する法的説明なので、内容としてはかなり「固い」です。そして、普段読み慣れていない人にとっては、かなり読みにくい。今現在の僕も読みにくい。アホか。こんなん誰が読むねん。って思うんですけど、こういう文章が当たり前の環境でした。
裁判例や判旨の内容なんかは飛ばしちゃっても意味はわかると思うので、しんどかったら読み飛ばしてください。起承転結の起と結だけ各見出しで読んでも伝わるかな。
よくもまあ、ずっとこんな文章を書いていたと思います。過去の僕、すごい。今ではできない。

ただ、まあ確かに内容は難しいんだけども、普段何気なく病院で行われている説明には、こんな法的な理由があるんだよ、ここ押さえてたら何かあった時に法律使って身を守れるよ、とか、なにかしら利用できる点もあるかと思います。
完全なる暇潰し代わりに読んでやってくださいな。ここから下が卒論です。




医師の説明義務

[:contents]                      

一 はじめに

平成2年、日本医師会生命倫理懇談会の「『説明と同意』についての報告」においてインフォームドコンセントの概念が日本でも認知される様になってから久しいが、実際のところ、本当にインフォームドコンセントは実施されているのだろうか。手術であるならば、患者の生命・健康に関わるので、医師側も説明義務を課される事を当然として説明はなされている場合がほとんどである。しかし、我々が風邪等にかかった場合に通院する診療所等の一番身近な病院で、それらの説明義務は果たされているかと言えば、おそらく果たされていない場合が多いのではないだろうか。私自身、喘息等で通院した際に、血液検査をするとしか説明を受けていない状態で、いきなり点滴で『ステロイド』を血液中に流され(それがステロイドであると知ったのは点滴後にこちらが説明を求めた後)、医師からは「ちょっと高いけど効く薬」として説明を受けて承諾したものが、実は『免疫力抑制薬』であったりした事があった。この様に、我々患者からすれば、医師に言われた事は信じるしかなく、少しおかしいと感じた事でも、特段命にかかわるものでなければ医師の説明を遮ったり、治療の中断を求めたりはなかなかできない環境ができてしまっているのが現状である。
 実際のところでは、分娩方法に関して、患者の望む治療方法を実行せず、不正確な説明をして患者に承諾をさせた結果、手術に失敗したケース等があり、医師の裁量を重視した結果、説明不足により患者が自由に自己決定権を行使できず、不幸な結果につながった事も少なくない。
 そこで、本稿では、医療過誤訴訟の中から、このような医師の説明義務違反に関わる判例を抽出し、それがどのように争われているかを分析し、医師の説明義務の範囲を明確にできるよう試みたい。また、それらの紛争を未然に防ぐにはどの様にすべきかについても言及したい。

二 本稿の構成

 まず、三では本稿にて取り扱う主要な判例を挙げ、四で説明義務違反の沿革やそれに伴い、インフォームドコンセントや患者の自己決定権について論じ、五では説明義務違反の前提となる、医療事故の意義と民事責任の法的構成について述べる。六では本稿の中心となる医師の説明義務について深く論じ、七では私見、そして結びにつなげるとする。

三 説明義務の内容・範囲についての判例(最高裁判例平成12年2月29日民集 第54巻2号582頁)

〈事実の概要〉
X1 はエホバの証人で、輸血は神によって禁じられている、という教義を信仰していた。
平成4年3月立川病院で受診したところ肝臓癌であると診察され、輸血なしでは手術が出来ない旨説明を受けた。そこでX1 は同年8月、無輸血手術の実績があったY1(国)が設置する東京大学医科学研究所附属病院に転院した。X1 は当該病院の医師Y2 に対し、輸血以外に救命手段がない事態になっても輸血しないという絶対的無輸血での手術を求め、また輸血をしないことから生じるいかなる結果についても責任を問わない旨の免責証書を提出していた。
一方でY2ら治療に当たった医師は、手術にあたり可能な限り輸血は行わないが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血をする、という相対的無輸血の治療方針を採っていた。しかしこの治療方針をX1 には説明せずに手術を行い、手術中に救命上の必要性から輸血を実施した。
そこでX1 は、本件輸血によって自己決定権及び信教上の良心を侵害されたとして、Y1 とY2 らを相手に損害賠償請求を提起した。

〈第一審・二審の判決要旨〉
第一審(東京地裁平成9年3月12日判決・判タ964号82頁)は、「医師は患者
に対して可能な限りの救命措置をとる義務があり、手術中に輸血以外に救命方法がな
い事態になれば、患者に輸血する義務がある」と判示して、絶対的無輸血の特約は公
序良俗に反して無効であると、X1 の請求を棄却した。X1 は控訴したが、控訴審係
属中に死亡し、相続人である夫X2、子のX3 らの4人が訴訟を承継した。
第二審(東京高裁平成10年2月9日判決・高民集51巻1号1頁)は、「本件の
ような手術を行うについては、患者の同意が必要であり、医師がその同意を得るにつ
いては、患者がその判断をする上で必要な情報を開示して患者に説明すべきものであ
る。」「この同意は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが
決定することができるという自己決定権に由来するものである。Y1 らは自己の生命
の喪失につながるような自己決定権は認められないと主張するが、当裁判所は、特段
の事情がある場合は格別として・・・、一般的にはこのような主張に与することはで
きない。すなわち、人はいずれ死ぬべきものであり、その死に至るまでの生きざまは
自ら決定できるといわなければならない(例えばいわゆる尊厳死を選択する自由は認
められるべきである)。」Y2 らは、相対的無輸血の治療方針を採用していながらX1
に対し、この治療方針の説明を怠ったものである、と判示して、第一審判決を取消請
求の一部を認容した。これを受けてY1 らは上告、X2 らは附帯上告をした。



〈最高裁の判決〉
  Y2医師らが、X1の肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、X1が、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待してY1に入院したことをY2医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、Y2医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、X1に対し、Y1としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、Y1への入院を継続した上、Y2医師らの下で本件手術を受けるか否かをX1自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。
 ところが、Y2医師らは、本件手術に至るまでの約一か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、X1に対してY1が採用していた右方針を説明せず、同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、Y2医師らは、右説明を怠ったことにより、X1が輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。

・本判決の意義

 本判決は、医師の説明義務違反により、人格権侵害を理由とする不法行為が成立することを認めた初めての最高裁判決である。そういった意味で、本判決の評価は高い。
 だが、本判決は宗教上の観念から、いかなる場合も輸血を受けることは拒否するという固い意思を有する成人が、その態度を明確にしている場合の事例の判断であり、患者の自己決定権が常に医師の裁量より優先されるわけではない。
また、原判決は「同意は、各個人が有する人生のあり方は自らが決定することができるという自己決定権に由来するものである」と判断し、医師の裁量との比較対象を、人生のあり方にまで広げている。これに対し、本判決は、「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」と判断し、これを宗教上の信念に基づく輸血拒否権に限定している。従って、本判決の射程はそれほど広くなく、「医師が、予定した手術の内容等によれば輸血を伴うことなく手術を施行できるものと確信して手術に挑んだものの、予想外の出血に直面し、救命のためにやむを得ず輸血をしたという事案は、本件とは異なるものである。また、交通事故直後等において本人の意思を確認しがたい場合、判断能力に欠けている患者の場合及び患者が年少者であってその家族が輸血を拒否する場合等についても本判決は直ちに適用されうるものではないというべきである」。また、「患者が特定の治療を受けることを拒否していても、その拒否の理由が客観的保護に値しないような場合は本判決の射程は及ばない」。


四 沿革

1.医師の説明義務の起源

 インフォームド・コンセント法理の起源は、かなり古い時代まで遡ることができるが、それは同意のない治療が賠償の対象たりうるという見解がコモン・ローの中で形成されていたことに由来する。患者に何が行われるかを、医師は患者に告げなくてはならないという考え方の起源は、18 世紀のイギリス法に認めることができる。1767 年Slater v. Baker and Stapleton判決は、治療の前に患者から同意をとることは外科医にとっては慣行なのだから、この基準に沿わなかった医師には責任を課しうるとの意見をとった。ただしこれは患者の権利といった発想によるのではなく、自らの身体に加えられることを知ることで患者が不安に打ち勝ち、前向きに治療に臨めるという点が重視されていたことによるらしい。従って、インフォームド・コンセントの正当性は、患者が自己の身体におこることをコントロールする権利よりも、むしろ医師と患者のコミュニケーションに由来すると言えるだろう。そこでは、患者の協力という名の下に事実が歪められることも認められたし、医師が「こうすれば良くなる」と言うのに対して患者が頷くといった非常に単純なやり取りがあれば、同意として認められていたのである。
そして、アメリカ病院協会が1973年に定めた「患者の権利章典」4条において、「患者は、法律の許す範囲で治療を拒否する権利があり、また、患者が治療を拒否することによって起こりうる医療上の結末について知らされる権利がある」とし、患者側の権利という形で、医療機関の説明を認めるに至った。
  また、世界医師会が1981年に発表した「患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言」
C項では、「患者は、十分な説明を受けた後で、治療を受ける権利、或いは治療を受けるとを拒否する権利を持っている」と規定されて、インフォームド・コンセントが患者の権利として認められ、世界各地で立法化されていった。
 

2.患者の権利に対する世界の動向

(1)アメリカ

患者の権利について最も長い歴史があるのは、先にも述べた様にアメリカである。
アメリカで患者の権利拡大の動きが活性化した背景には、公民権運動に代表される人権意識の高まりがその原因として説明され、アメリカ病院協会による患者の人権宣言(1973年)をはじめとする法廷以外でもさまざまな方法で患者の権利を実現しようとしている。権利章典の作成により、患者の権利が自覚され、承認されていくという効果があるといえるだろう。
患者の権利拡大につき、中心的な役割を果たしたのが、アナス教授の『患者の権利』である。アナス教授は、患者の権利を強く主張し、またその核心を、①情報を受けた上での決定、②プライバシーと自己の尊厳に対する権利、③治療を拒否する権利、④緊急治療に対する権利、⑤権利擁護を受ける権利、とし、さまざまな医療の場面に於いて、患者の権利の実現について論じ、それが不断の努力によって初めて確保されることを主張している。

(2)ヨーロッパ

ヨーロッパにおいても、最近は患者の人権問題が重要な課題として取り上げられており、これは患者の権利問題が、大量の弁護士を抱えるアメリカの問題だけではないことを示している。WHOヨーロッパ支部は、患者の権利に関するヨーロッパの国際比較の文献やシンポジウムを開催して、その推進を図っているのである。
 患者の権利をいかなる法より保障すべきかにつき、患者と医療提供者との民事上の関係を立法する方向と、市民を保護する行政の役割を強調する方向のアプローチなどが考えられる。民事法のアプローチはオランダで採用され、オランダでは1970年代から患者の権利に関する議論が高まった。政府は専門の委員会を設置して、患者の知る権利、患者のプライバシー権、苦情処理などの問題について検討を進め、80年代初めに報告書を提出した。この報告書を受けて政府はさらに検討を加え、1987年に法務省、福祉保健文化省(当時)が、患者の権利法の草案をまとめている。この草案に基づき1990年に法案が作成され、1994年に医療契約法として成立した。この法律はその後、民法典第 7 編第 7 章第5 節第446条~第468条として編成されたのである。フィンランドでは1980年代から患者の権利法の立法化論議が始まり、1992年に患者の地位・権利法(行政法)が成立した。同法では、患者の権利よりも医療スタッフ、保健ケア機関の「義務」に重点を置いた規定が多い。「情報を受ける患者の権利」(第 5 条)では、「患者は、自己の健康状態、ケア及び治療の意味、治療の各種代替法及びその効果について
情報を受ける権利を有する。」とあるが、同意に関する明文の規定がないため、黙示の同意又は推定同意が適用されている。 第 6 条は「患者の自己決定権」について規定。
ドイツでは、2003年3月に、医師と患者間における紛争予防と権利確定を主とする「患者のための権利章典」がドイツ連邦司法省、連邦社会省から公表されており、患者による医師・病院の選択肢、セカンドオピニオンを得る権利、説明を受ける権利、自己決定権、医師の文書作成義務、守秘義務等が明らかにされている。
このように、ヨーロッパでは1990年代から患者の権利を法典化する動きが加速した

(3)日本

アメリカやヨーロッパで患者の権利拡大が行われている中、日本ではあまり患者の権利拡大への活動は速やかに行われなかった。それでも戦後50年の後、医療を当然の権利として考える世代が増え、薬害・医療スキャンダル等による医療不信の増大、医療過誤訴訟の増加等により、医療の現状に対する不満とその改善を求める社会的空気は非常に強いものがある。
   患者サイドは、患者の権利宣言案が1984年に弁護士等を中心とした患者の権利宣言全国起草委員会によってまとめられ、1991年には患者の権利法を作る会によって患者の諸権利を定める法律要綱案が起草された。また、日弁連大35回人権大会(1992年)は、患者の権利確立に関する宣言を出している。
冒頭で述べた様に、日本医師会は説明と同意についての報告(1990年)を出し、厚生省もインフォームドコンセントのあり方に関する検討会の答申を1995年に出したが、その内容は法制化に対する懸念も含まれていた。しかし、薬害エイズなどの事件を受けて、薬害再発防止に関する提言では、医療記録の閲覧権等を求めた患者の権利法を制定すべきとの提案もなされたのである。こうした行いから、日本でも少しずつ患者の権利実現への道を歩んできたと言える。

3.インフォームド・コンセント理論と患者の自己決定権

(1)インフォームド・コンセントとは

インフォームド・コンセントという言葉は、現在では広く知られている。広辞苑(第六版)によれば、インフォームド・コンセントとは「医学的処置や治療に先立って、それらを承諾し選択するのに必要な情報を医師から受ける権利」とされている。また、「医療における人権尊重上重要な概念として各国に普及」ともあり、患者の承諾やその前提としての情報提供を求めることが、患者の人権尊重と深い関わりを有することも、同様によく認識されているものと思われる。また、法律用語辞典(第 3 版)では、インフォームド・コンセント(informed consent)とは、医療の場で、十分な説明を受けた後の患者の承諾を指すのが一般的である。また、このインフォームド・コンセントを得ることなく(あるいは、不十分なインフォームド・コンセントを得て)施された医療行為は不当であるという考え方も一般的だと思われる。
本来、医療行為は、患者の身体に軽重様々な侵襲を加える性質を帯びる為、それが法的に正当な行為と評価される為には、患者の同意を必要とするはずである。加えて、この同意が真に有効な同意である為には、医師は患者に対して予め、同意するか否かの判断に必要とするか否かの判断に必要とする情報を伝える事(説明)が求められる。このような「患者が十分な説明を与えられた上で、それを理解し、納得した上で、治療に対する同意をなすこと」即ち患者の自己決定権の利益を具現化したものが、インフォームドコンセント理論である。
この理論は、第二次世界大戦後、アメリカ法及びドイツ法の議論において積極的に提唱され、その不履行が、医療過誤訴訟の有力な訴訟原因の一つに至った。日本に於いては、昭和40年ごろに唄孝一教授によって同理論が紹介され、昭和40年代後半からこの問題を取り扱う裁判例が登場し始めた。その後昭和56年に初めて最高裁判決が示されたのを契機に、昭和50年代末から60年代にかけて定着し、今日まで数多くの判決が出ている。例えば、不妊治療を行う医師が負う説明義務はいかなる程度か、癌の告知が説明義務として求められるか否か、未確立療法を説明する義務はあるか等が問題となってきた。しかし、裁判所の判例は、全体として患者の自己決定権を尊重する方向に向かっているものの、未だ明確な判断基準は見いだせていない。
唄教授は、説明義務の問題は、患者個人の自己決定権と生命・健康・幸福に対する権利という2つの権利の対立であるとしている。前者は医師の説明義務(インフォームド・コンセント)によって保証され、後者は医師のパターナリスティックな治療行為が全うされるのである。

(2)患者の自己決定権

患者の自己決定権は所謂生命倫理4大原則(無危害原則、善行原則、自己決定原則、正義原則)の一つと言われるが、この自己決定原則こそが最も重要な原則である。自己決定権は医療倫理における伝統的原則ではなかったにも関わらず、今や生命倫理問題の全分野で最も重要な原則となっている。この原則を実質的に法理の形で実現したインフォームド・コンセント法理から、自殺幇助、末期医療、遺伝子研究、人工生殖などのあらゆる議論に至るまで、全ての生命倫理の問題が、患者の自己決定権という観点から分析する事ができるからである。


五 医療事故と医師の民事責任

1.医療過誤の意義

  医療事故については、医師側の民事責任については、民法によって規律されており、医療事故のうち、病院側が業務上必要な注意義務を怠り、患者の生命・身体を損害し、損害を惹起させた場合、医療過誤という。

2.問題の所在

  例えば、ある医療行為の結果として患者は身体上の損害を被ったが、その際に医師は説明すべき情報を患者に十分に提供しておらず、もしも十分な説明がなされていれば患者は医療行為に同意しなかったという因果関係が認められる場合である。患者はいわば錯誤に基づいて同意したのであって、その結果として生じた損害に対して賠償を求めることになる。その場合、どの様な法的構成になるだろうか。

3.医師の民事責任の法的構成

(1)不法行為構成

  かつて、医療過誤訴訟といえば、不法行為構成が採られていた(民709条、715条)。しかし、この構成では、医師の過失は専門知識のない患者側が立証しなければならなくなり、重い負担になることから、債務不履行構成が主張され、多くの裁判で採用されるようになった。

(2)債務不履行構成

  医師は、患者との間の診療契約に基づき医療契約を行っている事から、医師の過失による医療過誤は、診療契約上の債務不履行責任を生じさせると構成される(民415条)。診療契約の法的性質は、医師として「要求される臨床医学上の知識技術を駆使して可及的速やかに患者の疾病の原因ないし病名を的確に診断したうえ、適宜治療行為をなすという事務処理を目的とする準委任契約」と解される。これによれば、医療過誤は、医師の善管注意義務違反(民644条)による不完全履行と構成されることになる。そして、診療契約に基づいて医師が患者に負う債務は、適切な治療行為を実施することを内容とする債務であるとされる。
 債務不履行構成によれば、医師側が自らに「責めに帰すべき事由」(民415条)がないことを証明しない限り、損害賠償請求を負う事になり、医師の過失を患者側が証明しなければならない不法行為構成よりも、患者側には有利になる。

(3)不法行為構成と債務不履行構成についての検討

上記では、債務不履行構成が有利である、と書いたが、医師側の過失ないし、帰責事由に関して、必ずしもそうとは言えない。
まず、債務不履行責任構成する場合、診療債務の履行が不完全であったことを証明するのは、患者側である。結局、不法行為責任構成における過失の立証と同じ様な事を証明せねばならない。また、履行が不完全というには、『完全な履行』というものが解っていなければならず、その上で、債務内容である善管注意義務の個々の具体的な特定と、それに違反した事実を証明しなければならない。
不法行為責任構成によっても、通常では生じえない事実の発生が認められる時は、時は過失の存在を推定するという「過失の一応の推定」により、患者側の証明の負担を軽減をする法理がある。
 今日では、債務不履行責任構成も不法行為責任構成も当事者にとっては変わらないというのが一般認識である。しかし、損害賠償の範囲をめぐる問題では、近親者の固有の慰謝料請求権が認められるか否かの点につき、両者には大きく違いがある。即ち、不法行為責任では民法711条が、生命侵害を受けた被害者の両親、子に固有の慰謝料請求権を認めており、更に判例では、生命侵害に限定することなくそれに伴う精神的苦痛等を受けた場合もそれを類推適用するとしている。他方、債務不履行構成に関しては、そのような規定は存在しない。また、雇用契約上の安全配慮義務違反を争う事案に於いて、遺族固有の慰謝料請求権は債務不履行構成に基づいては主張しえないと判断された。この事から、患者側が死に至った場合などの医療訴訟では不法行為構成が主流となっている。
そこで、不法行為構成を採る場合、医師の違法性阻却事由としての説明責任が問題となる。

六 医師の説明義務

1.説明義務の意義

説明義務の定義は、「医師が患者に対し、病名、病状とその原因、治療行為の内容、治療に伴う危険、治療を行った場合の改善の見込み、当該治療を行わなかった場合の予後、代わりの治療行為、その場合の危険性、改善の見込み及び当該治療行為を選択した理由を説明すべき義務」等とされている。今日の医療過誤訴訟では、患者が上の定義に挙げた様な医師の説明義務違反による損害賠償請求をする事が多い。これは患者の「自己決定権」尊重の主張の高まりを背景として、医師の説明義務が重視されるようになったからである。
伝統的理解によると、医療行為は患者の身体・精神に対する医的侵襲行為を伴うが、患者の同意がない医的侵襲行為は違法であり、それを実施した医師が不法行為責任を負うのが原則である。患者の同意・承諾があることによって、手術などの医的侵襲行為の違法性を阻却することになる。
 

2.患者の同意と医師の説明義務の関係

説明義務には5つの類型があるとされる。①療養指導としての説明、②患者の同意・承諾を得る為の説明、③転医勧奨・勧告としての説明、④知る権利の保障、⑤顛末報告がある。しかし、④⑤は事例自体極端に少なく、裁判所も定着していない。 
本稿では、②を目的とする論文なので、患者の同意・承諾を得る為の説明を取り上
げる。
医師が医療行為をするには、医師からの適切な説明を受けた上での患者の同意(インフォームドコンセント)が必要であると解されている。患者は、自分が受ける治療行為について十分な情報が与えられていなければ同意するかどうかについて適切な判断ができないので、患者が同意の対象である治療行為を十分に理解していなければならない。こうして、患者の自己決定権行使の為に必要な情報を医師に説明させる義務を負わせたのである。

3.説明義務の判断基準

医師が患者に対し説明義務を負う法的根拠を違法性阻却事由としての患者の承諾を得る前提として考え、また、併せて患者の自己決定権の観点から説明義務を根拠付けるとすると、説明の内容としては、その場面に応じ、患者が自己の意思に基づき説明の内容について承諾し、また自己決定するのに必要な限度に事実を説明すべき、という事になる。
では、何を医師の説明義務の判断基準とすべきか。これに関しては見解が対立している。

A・合理的医師説(頭蓋骨陥没骨折開頭手術判決)

    医師の間での一般的慣行を踏まえ、当該具体的状況において通常の医師ならば、説明する情報を説明しているか否かを基準とする。説明されるべき事柄は、同様あるいは類似の状況下での合理的な医学的慣行の範囲内に限られるということである。

B・合理的患者説(Canterbury 判決)

 医師には、提案した治療について、患者の立場にある合理的な者が、治療を受けるか受けないかを決定するために重要であると考える全ての情報を提供することが求められるというのが、合理的医師基準に代わって提唱された新たな基準。この基準における説明義務の範囲は、医師の慣行ではなく、患者の決定権によって定まることになる。

C・具体的患者説

 それぞれの個別具体的な患者ならば重要視するであろう情報が説明されるべきであるとする説である。これは、合理的患者説を更に進めて、当該患者がその自己決定権の行使において重要視する情報が説明されるべきとする。

D・二重基準説

 具体的患者説を前提として、合理的医師説を重畳基準とする。即ち、具体的な患者が自己決定権を行使するにあたって重要視するであろうことを、合理的医師ならば認識可能であった情報が説明されたかどうかを基準とする説である。

4.医師の裁量

(1)医師の裁量論

医師は専門家として、従来、生命の救済や身体、健康の回復及び増進といった患者の利益を守るという目的の為に幅広い裁量が認められ、多くの患者は専門家としての医師を信頼して任せていた。その為、判例でも、医師の説明義務の内容について、広範な裁量が認められ、医師側を免責する事情として「医師の裁量の範囲内」という主張が多かった。
 確かに、医療の分野は高度に専門性を帯びた分野であり、医療行為は、病状や年齢や性格の違いがある患者に対して行われるものである。具体的場合に医師がなすべきことは常に一義的ではなく、医師が専門知識に基づき様々な事情を考慮しながら判断することは必要不可欠であるから、医師の裁量を認める事は重要である。しかし、近年は患者の自己決定権が重視されるようになり、医師の治療行為は基本的に患者の意思に沿うことで正当化されることになるから、広範な医師の裁量は患者の自己決定権を重視する流れからすると当然限定されることになる。

(2)意思の説明義務と裁量

説明義務の内容について、すべての事実について説明することは医師に不可能を強いることになり、患者が自己決定するに当たっても混乱を招くことも考えられるから、一定程度の裁量は認められる。もっとも、患者の自己決定権を重視する考え方からは、その場面に応じて患者が自己の意思に基づき説明の内容について承諾し、また自己決定するのに必要程度に事実を説明すべきことになるため、医師の裁量権は狭くなると考える。医師の判断と患者の意思に齟齬がある場合には、医師は患者に対し、判断する為に必要な事項について説明を行い、時には説得、示唆などの方法を通じて、医師の判断と患者との間の溝を埋めていくことが必要である。

5.小括

以上の通り、医師の裁量は限定的に解すべきであって、説明義務の判断の主体は患者の自己決定権であり、これに応じて医師の説明義務が発生する以上、説明義務の発生及び内容を論ずるについては、自己決定のために必要な説明がなされたかどうかという観点から説明すべきであって、医師の裁量の範囲を逸脱しているか否かという出発点からアプローチをすることは妥当ではない。
 医師の裁量については、説明の内容で細かい情報までの提供を不要とする場合等、原則として、患者の自己決定権が及ばない範囲について論ずる場合に初めて考慮すべきである以上、医師の裁量が認められる範囲は限定されると言うべきである。
医師の説明義務は患者の自己決定権を実質化する為のものであるとともに、法的義務として認められるべきであるから、まず一般化しつつ、現実の医療環境、具体的事案における医師と患者との関係、医師の専門家としての役割といった背景事情に則して考えるべきである。
 そのため、説明義務が発生するのは、その場面に応じ、患者が自己の意思に基づき承諾または自己決定することを要する場合である。説明義務の内容については、患者が自己の意思に基づき説明の内容について承諾し、また自己決定するのに必要な程度に事実を説明すべき、ということになる。具体的には、①患者の自己決定にとって個々の事情がどの程度重要であるか(死亡・後遺症などの重大性、結果発生の危険性の程度、具体的場面においてその事情が持つ意味など)、また、②当該医師にとって説明をすることがどの程度具体的かつ現実的であるかという二つの要素の調和を図り(当然、中心は①となる)、具体的な説明義務の有無の境界を探っていくのが妥当であると解する。
その説明の方法としては、患者が治療等の選択をなし得るかどうかという観点で、①具体的、②詳細、③真摯、かつ、④平易に説明する事が必要であり、不当な誘導を行うような説明をしてはならない。
 医師の説明義務の内容について、一般論を論じたが、具体的な事案についていかなる事情が範囲に含まれるかについては判例を検討するしかない。
以下で、医師の裁量論と患者の自己決定権が衝突した事例を紹介し、検討する。


6.最高裁平成17年9月8日第一小法廷判決 (第59巻7号1931頁)

 事実の概要と裁判の経過
【事実】
X1とX2(妻:出産時31歳)〔原告、控訴人兼付帯被控訴人、上告人〕は夫婦であり、平成5年8月31日、国立A病院(以下、本件病院とする)にて初めての妊娠が確認され、出産予定日は、平成六年五月一日と診断された(以下の日付は断りのない限り平成6年)。その後、本件病院の医師Y1〔被告、被控訴人兼附帯控訴人、被上告人〕(以下、Y1医師とする)の診察、検査を受けていたところ、2月9日に胎位が骨盤位(いわゆる逆子)であることが判明した。
4月13日(妊娠三七週二一日)の診察時に、母体の骨盤の形状や大きさに鑑みて、経膣分娩が可能であると判断し、X2に経膣分娩の方針を伝えた。
これを受けて、Xらは、胎児が骨盤位であるのに経膣分娩を行うことに不安を抱き、翌一4日にY1医師に対して帝王切開術による分娩の希望を伝えた。さらに、同月20日にもX2はその旨の希望を伝えた。しかし、これに対して、Y1医師は、(1)経膣分娩が可能であり、(2)分娩中に問題が生じればすぐに帝王切開術に移行することができ、(3)帝王切開術を行った場合には、手術部がうまく接合しないことがあることや、次回の出産で子宮破裂を起こす危険性があることなどを説明した。
その後、同月二七日にも、X2は帝王切開術による分娩の希望を伝えたが、Y1医師は、どんな場合にも帝王切開術に移ることができるから心配はない旨説明した(この日の検診時に、Y1医師は、超音波断層法を用いた測定によって、胎児の体重を3057gと推定し、分娩時には殿位になるものと判断した。なお、これ以降、胎児の推定体重の測定は行われていない)。
同月二八日、Xらは、本件病院への入院手続を行った際にも、Y1医師は、Xらに対して、(1)骨盤位の場合の経膣分娩の経過や帝王切開術の危険性等のほか、(2)骨盤位の場合、前期破水をすると胎児と産道との間を通して謄帯脱出を起こすことがあり、早期に対処しなければ胎児に危険が及ぶため、その場合には帝王切開術に移行することなどについて、経膣分娩を勧める口調で説明した。この際にも、X2は、逆子は謄帯がひっかかると聞いているので帝王切開術をお願いしたいと申し入れたがY1医師は「この条件で産めなければ頭からでも産めない。もし産道で詰まったとしても、口から手を入れてあごを引っ張ればすぐに出る。もし分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開に移れるのだから心配はない」と答えた。これに対して、Y2は、「それでも心配ですので遠慮せずにどんどん切って下さい」と言い、あらかじめ手術承諾書を書いておくとも言ったが、Y1医師は、心配のしすぎであるとして、取り合わなかった。
その後、出産予定日を経過した5月9日(妊娠41週1日)、内診により成熟の徴候が見られたため、医師がX2に対して、同月二日から分娩誘発を行うことを説明した際、X2は、子供が大きくなっていると思うので下から産む自信がなく、帝王切開術にしてもらいたいとの希望を伝えたが、Y1医師は、予定日以降は胎児はそんなに育たないと答えた。
同月11日午後より、分娩誘発の処置を開始し、分娩監視装置による胎児心拍数の測定を開始した。翌12日の朝の内診で、当初の診断とは異なり、分娩時には、複殿位となると判断したが、子宮頚部が柔らかくなっていることなどから、このまま経膣分娩をさせることとし、陣痛促進剤の服用に代わって、同剤の点滴投与を開始した。同日、午後1時18分ころには、陣痛がほぼ二分間隔で発現するようになり、午後3時21分ころには、胎胞が膣外まで出てくる胎胞排臨の状態となったが、卵膜が強じんで自然に破膜しなかった。そこで、Y1医師は、分娩の遷延を避けるため人工破膜を行ったところ、破水後に謄帯の膣内脱出が起こり、胎児の心拍数が急激に低下した。Y1医師は、謄帯を子宮内に還納しようとしたが奏功せず、午後三時七分ころ、骨盤位牽出術を開始した。その後、午後3時9分ころ、重度の仮死状態でXらの子が出生し、待機していた小児科医による蘇生措置が施されたが、午後7時24分に死亡(死亡時の体重は3812g、出生時の体重は約3730g程度と推認されている)した(本件病院では、経膣分娩の経過中に帝王切開術に移行することのできる体制となっていたが、Y1医師は、破水後に帝王切開術に移行しても、胎児の娩出まで少なくとも15分程度の時間を要し、経膣分娩を続行させるよりも予後が悪いと判断して骨盤位牽出術を続行したものである)。
そこで、Xらは、本件病院の設置者(国Y2(独立行政法人国立病院機構が承継))との間で、助産を委託する契約等を締結したことを前提に、Xらにおいて、胎児が骨盤位であることなどから帝王切開術による分娩を強く希望する旨をY1医師に伝えていたにもかかわらず、Y1医師が骨盤位の場合の経膣分娩の危険性や帝王切開術との利害得失について十分しなかったため、Xらが分娩方法について十分に検討した上で意思決定をする権利が奪われた結果、帝王切開術による分娩の機会を喪失し、子が死亡したなどと主張して、Y1に対しては不法行為に基づき、本件病院の設置者Y2に対しては債務不履行又は不法行為に基づき、損害賠償を求めた。
第一審(さいたま地裁川越支判平成13年7月5日公刊物未登載)は、経膣分娩の選択、人工破膜の施行に関する過失は否定したが、Y1によるXらの自己決定侵害を認め、Xらのそれぞれにつき150万円ずつの慰謝料を認めた。
控訴審(東京高裁平成14年3月19日訟月49巻21号799頁)は、Y1によるXらに対する説明内容には、経膣分娩の優位性を強調した面があったが、その危険性や対応方法などの説明もなされており、また、Xらが骨盤位の場合の分娩について既に一応の知識を有していたことに鑑みれば、必要な説明がなされていたとして、Xらの自由に意思決定をする権利を侵害したとはいえないとして、一審判決のYらの敗訴部分を取り消し、Xらの請求を棄却した。そこで、Xらが上告した。



【判旨】
Y1の説明は、「Xらが胎児の最新の状況を認識し、経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で、Y1の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与える義務」を尽くしたとはいえないとして全員一致で破棄差戻し。その理由として、①Xらは、胎児が骨盤位であることなどから経膣分娩に不安を抱き、Y1医師に対し、再三にわたり、帝王切開術を強く希望する旨を伝えていたこと、②これに対しY1医師は、Xらに対し、経膣分娩の危険性について一応の説明をしたものの、出産予定日を経過し子供が大きくなっていると思うので下から産む自信がない旨述べたX2に対して予定日以降は胎児はそんなに育たない旨答えたのみで、骨盤位の場合における分娩方法の選択に当たっての重要な判断要素となる胎児の推定体重や胎位等について具体的な説明をせず、かえって、分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開術に移行することができるから心配ないなどと極めて断定的な説明に終始し、経膣分娩を勧めたこと、③Xらは、帝王切開術についての強い希望を有しながらも、Y1医師の上記説明により、仮に分娩中に問題が発生した場合にはすぐに帝王切開術に移行されて胎児が安全に娩出され得るものと考え、Y1医師の下での経膣分娩を受け入れたこと、④しかし、実際には、本件A病院では、帝王切開術に移行するには一定の時間を要することから、経膣分娩の経過中に胎児に危険が生じ、直ちに胎児を娩出させる必要がある場合において、帝王切開術への移行が相当ではないと判断される事態が生ずることがあること、⑤出産約二週間前においては、胎児の体重は3057gと推定されたものの、超音波測定による推定体重には10から15%程度の誤差があるとされている上、出産までの二週間で更に約1100g程度は増加するとされているので、出産時の体重が3500gと超えることも予想される状況にあったが、骨盤位で胎児の体重が3500g以上の場合には帝王切開術を行うべきものとする見解もあった。しかし、Y1医師は、平成6年4月27日を最後に、胎児の推定体重を測定しなかったこと、⑥さらに、Y1医師は、同年5月21日午前8時ころの内診で、複殿位であると判断しながら、Xらにこのことを告げず、陣痛促進剤の点滴投与を始め、同日午後3時3分ころ人工破膜を施行したこと、をあげた。
そして、以上の点に照らすと、「帝王切開術を希望するという上告人ら(Xら)の申出には医学的知見に照らし相応の理由があったということができるから、被上告人医師(Y1)は、これに配慮し、上告人らに対し、分娩誘発を開始するまでの間に、胎児のできるだけ新しい推定体重、胎位その他の骨盤位の場合における分娩方法の選択に当たっての重要な判断要素となる事項を挙げて、経膣分娩によるとの方針が相当であるとする理由について具体的に説明するとともに、帝王切開術は移行までに一定の時間を要するから、移行することが相当でないと判断される緊急の事態も生じ得ることなどを告げ、その後、陣痛促進剤の点滴投与を始めるまでには、胎児が複殿位であることも告げて、上告人らが胎児の最新の状態を認識し、経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で、被上告人医師の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えるべき義務があったというべきである」が、Y1医師のXらに対する説明は、「一般的な経膣分娩の危険性について一応の説明はしたものの、胎児の最新の状態とこれらに基づく経膣分娩の選択理由を十分に説明しなかった上、もし分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開術に移れるのだから心配はないなどと異常事態が生じた場合の経膣分娩から帝王切開術への移行について誤解を与えるような説明をしたというのであるから、被上告人医師の上記説明は、上記義務を尽くしたものということはできない」


【本判決の意義】
・分娩方法の選択をめぐる患者の意思と医師の裁量
 治療方法の選択といっても、そこには、さまざまなものが含まれるが、本件のような産科事案では、分娩方法をめぐる事案が比較的多い点を指摘することができる。医療過誤訴訟における産科の割合は、他の診療科に比べると高く、そのなかでも骨盤位分娩は、産科においては訴訟となりやすいと言われている。本件はもはや正常分娩の域を超えているが、もともと分娩は、それが正常分娩であれば、一種の生理現象となり、疾患に対する治療行為をめぐって争われる医療過誤紛争とは若干状況を異にする。しかし、それだけに、不幸にして何らかのアクシデントが起こった場合に当事者が受けるショックは大きいことはもちろんのこと、実際には、分娩方法の選択をめぐり、その選択の適切さや帝王切開術への移行時期が争われる事案が少なくない。帝王切開術は、経膣分娩の実施が胎児あるいは母体にとって危険な場合、狭骨盤、胎位の異常、全前置胎盤、切迫子宮破裂、児頭骨盤不均衡などに適応があり速やかな遂娩を可能にする一方で、経膣分娩に比べると侵襲性が高く、出血量も増え、感染のリスクも高まるという母体へのデメリットもあるため、選択の有無に関わらず医療過誤ないし医療事故として紛争が発生する。まず、本件と同様に帝王切開術による分娩を選択しなかった事案としては、①東京地判昭和55年11月6日(判時995号67頁)、②大阪地判昭和57年3月4日(判時1056号123頁)、③東京地判平成14年12月25日(判例集未掲載)、④大阪地判平成15年5月28日(判例集未掲載)、⑤東京地判平成15年9月19日(判例集未掲載)などがある。次に、帝王切開術による分娩を選択したがその適応や移行時期をめぐる事案としては、⑥東京高判昭和61年3月27日(判時1189号53頁)、⑦浦和地判平成8年2月28日(判夕928号218頁)、⑧東京地判平成14年5月20日(判例集未掲載)、⑨東京地判平成15年2月28日(判例集未掲載)などがある。

七 私見

1.最高裁判例平成12年2月29日のエホバの証人信者への輸血事案に関し、説明義務の内容と範囲の検討

 本件において一審は、説明義務の範囲を「患者すべてに共通する」ものとして客観化された身体・生命の保護を、同意が必要とされる理由として捉えており、患者の同意よりも、医師の救命義務が優先すると判示している点からすると、A・合理的医師説を採用しているようである。しかしながら二審・最高裁においては、患者の人格権(自己決定権)の保障を基本に置いていることは明らかである。しかし、絶対的無輸血という患者の意思は宗教団体の教義を基礎とする宗教上の信念に基づくものであること(単なる一時的な個々人の希望ではない)、患者が医師に対してその宗教上の信念を積極的、明示的に表明していることから、D・二重基準説を採用したと言える。
では、説明義務の内容・範囲について指針を示す基準として、実際どの見解を採るべきか。医師の裁量と患者の自己決定権をどちらを重視すべきかに関する為、と問題となる。
この点について、合理的医師説は、該当する医学的慣行が常に存在しているとは限らないこと、たとえ存在したとしても有用なレベルに達していない場合があること、同時に採用されていた地域基準の下では他の医師の証言が得られないこと、といった問題を有していたために妥当ではない。説明義務の目的に照らせば、具体的な患者を基準とするC・具体的患者説が理想であるが、患者の主観のみを基準とし、患者が求める情報を全て必ず提供しなければならないというのは、医師に対して酷であり、妥当ではない。B・理的患者説は、具体的患者説から不合理な情報を排除する目的であるが、患者個人にとって必要な情報を排除するのは妥当ではない。
思うに、具体的な患者が重要視している情報を診察・治療にあたった医師は善良な管理者として認識しうるという立場であり、その患者が重要視するであろう情報について説明義務を課す事が妥当である。また、本件の1審の様に、絶対的務輸血の特約を公序良俗違反と考えるのは「生命に至上の価値を認めるというおそらくはわが国社会の多数者が持つ価値観を公序良俗という民法上の概念の下に患者に押しつけようとするものであり、パターナリスティックなものである」であるところ、インフォームド・コンセント法理の基盤となる医師と患者との相互の意思疎通の重要性を説明義務の判断基準に構造的に捉えているD・二重基準説の場合であると、互いの意思疎通を重視するので、一方の価値観を押し付けるといった心配もないだろう。従って、D・二重基準説が妥当である。

2.本件エホバ輸血の様な事案の紛争予防策

  医師は、宗教上の信念の基づき輸血を拒否する患者に対し、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合に、輸血をする可能性があるかどうか判断すべきである。この説明をせずに手術に着手して輸血を行えば、仮にそれが患者の生命維持のための輸血でも、説明義務違反の不法行為責任を負う。また、2008年に作成された「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」では、輸血治療が必要となる可能性がある患者について、18 歳以上、15 歳以上 18 歳未満、15 歳未満の場合に
分けて、医療に関する判断能力と親権者の態度に応じた対応を整理するなどし、こういった問題が起らないよう対策している。

3.最高裁平成17年9月8日第一小法廷判決の当否

本判決は、患者が帝王切開の希望を申し出ていたのに対し、医師が経膣分娩を採
った事案である。医療行為は極めて専門性が高く、その技術も進歩していくものであるから、医師はその知識と経験に基づいて数多ある治療方法からその患者に合った治療方法を選択することが職務上要求されており、その判断には合理的な裁量が認められる。それは患者の選択に拘束されるものではなく、むしろ自己の判断に基づいて患者を説得するのもまた医師の義務である。しかし、医療侵襲を伴う医療行為を受けるかどうかについての患者の自己決定権は尊重されるべきであり、患者が医療行為について十分理解した上で、当該医師の下でその医療行為を受けるか否かを意思決定できるように、医師の説明義務が尽くされなければならないと解すべきである。
すなわち、医師は、患者が複数の治療方法から医師の勧める医療行為を選択するか否かを自ら判断できるよう、医師自身が最適応と判断した治療方法について、患者の病状等に即した適応性、必要性や危険性等について説明する。そのほか、患者に適応があり、合理性のある代替的治療方法についても、その内容、適応性、有効性や危険性等について説明することが要求される。これに即して患者に当該治療方法と医師の最適応と判断する治療方法の得失等について正確な情報を提供して説明すべきであると解する。
当該事案では、Xらが、胎児が骨盤位であることなどから帝王切開を希望したのは、医学的知見からしても相当の理由があったというべきであるから、Y1医師が経膣分娩の方針を採ることにつき、X1や胎児の状態等について最新の情報を提示し、経膣分娩の相当性を説明したうえで、Xらに納得させようと説得するとともに、経膣分娩の危険性についても具体的に説明し、Y1の下で経膣分娩を行うか拒否するか、判断する機会を与えるべきであったと考える。
従って、経膣分娩の危険性を理解した上で、経膣分娩を受け入れるか否かを判断する機会を与えなかったとして説明義務違反を認めた当該判決は妥当である。

4.治療方法の選択につき、紛争を未然に防ぐ手立

  医療は高度の専門性を有する技術であることから、専門家である医師の診療に関しては一定範囲の裁量を認めることが、最終的に患者の利益になると考えられることが根拠とされ、医師の裁量性は、医師の水準的治療と患者の主体的関与の調和を志向する概念として位置づけられている。従って、医師の裁量を限界づけるものとして、まず医療水準による制約を受ける。医療水準に適合した治療方法が複数ある場合、それらの選択肢に関して医師には説明義務が認められ、十分な情報を与えた上で、最終的に患者の自己決定権による制約を受けることになる。
治療方法等の選択につき、医師がその専門的知見に基づいて判断するものであるが、患者は、その判断を受け入れるかどうかを自己決定する権利を有する。医師としては、代替的治療法がある場合、適切と判断する医療行為の説明のほか、最新の病状、代替的方法との利害得失等を具体的に説明して患者の納得を得るべきであり、患者が他の治療方法を希望する場合は留意して、場合によってはセカンドオピニオンを得るように助言することなども含めて、患者が治療方法について納得して治療に挑むことができるよう配慮することが求められている。

八 終わりに

 医療は、人々の生命、健康を維持、回復、向上させるものとして、社会でその有用性を長く認められてきたと言える。しかし、医療が単に医療従事者の裁量に基づき一方的に施されるべきものでないことも、現在では認められている。医療を受ける患者がそれに同意していなければ、医療は患者にとって暴力的なものともなりかねない。医療における患者の意思の重要性は、患者の意思を十分に汲まなかったことを損害として認めることで、民事訴訟の中で徐々に確立されてきた。
しかし、本稿では、患者の意思に反した民事責任は、ただちに刑事責任を構成するかについてなどの、刑法上の治療行為理論や、インフォームドコンセント理論の生みの親であるアメリカの法律論や判例に全く触れられなかった点など、論点をまとめきれず、不十分なものとなった。
本稿はあくまでも日本の民事訴訟の視点からのみで検討を試みたものだが、このインフォームドコンセント理論と医師の説明義務について真に理解し、問題を突き詰めるのであるならば、日本の民事訴訟だけでなく、刑事訴訟上の治療行為論やアメリカの判例について深く理解していないと難しい事が解った。例えば、エホバの輸血事案に際しても、医師が患者の希望に沿って輸血をせず見殺しにした場合、民事上では免除されるのに対し、刑事上では業務上過失致死罪が成立し、整合性を欠いてしまうという問題もある。このような問題について、どうすべきかの答えを民法からだけでは出せなかった。
もし、今後私に深くこれらについて研究する機会があるならば、アメリカのインフォームドコンセント理論の根元まで遡って調べ、刑法的な観点からも見て、日本の説明義務基準はどうなるべきかという点について研究してみたい。
                                   以上。

終わりにからの終わりに

はーい、卒論ここまで。
こんな感じでした。
理解できました?
僕はできていない。

いやー、でも、まあこれ頑張って書いてたんだよ。懐かしいね。誰からも認められなかったこの論文、ここで少しでも読まれたらいいなとふと思ったのでした。
過去の自分お疲れ。よくもまあこんなわけわかんない文章書いてたね。
めっちゃ添削してええってなったけど、明日ライブだしそのまんま掲載。
暇潰しくらいいなれば幸いです。

ほいでは、明日ライブきてね。

QEDDESHET - RECAPTURE YOUR LIFE(OFFICIAL VIDEO)※日本語字幕あり